2014-12-30

福間先生の死_02

芥川龍之介の「二人の友」と森鷗外の「二人の友」

芥川龍之介は「二人の友」という短い随筆に、学生時代を回想しながら福間博のことを書いています。それによると、福間博が森鷗外の「二人の友」の登場人物F君のモデルと言われているため、鷗外にならいこのタイトルをつけたようで、芥川と鷗外のタイトルが同じなのは偶然ではありません。

福間博と久米正雄とのやりとり

「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」
久米も亦また忽ち洒落(しやれ)を以て酬(むく)いた。
「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」

久米正雄とのこういった会話も面白いです。
(これもマンガに描きました。)

福間博の死

芥川の「二人の友」には福間博が体調を崩し、恒藤恭(当時井川恭)と一緒に見舞に行ったことや、その後とうとう福間先生が亡くなり、葬儀に参列したことも書かれています。

 福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、生憎(あいにく)はつきりと覚えてゐない。が、その一週間か二週間か前(まへ)に今の恒藤恭(つねとうきよう)――当時の井川(ゐがは)恭と一しよにお見舞に行つたことは覚えてゐる。先生はベツドに仰臥(ぎやうぐわ)されたまま、たつた一言ひとこと「大分だいぶ好いい」と言はれた。しかし実際は「大分好い」よりも寧(むし)ろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどは愁(うれ)はしい顔をしてゐられたものである。

そして葬儀のくだり

導師になったのは森鷗外「二人の友」に出てくる「安国寺(あんこくじ)」とのことです。

 或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の柩(ひつぎ)を今戸(いまど)のお寺へ送つて行つた、お葬式の導師(だうし)になつたのはやはり鴎外(おうぐわい)先生の「二人(ふたり)の友」の中の「安国寺(あんこくじ)さん」である。「安国寺さん」は式をすませた後(のち)、本堂の前に並んだ僕等に寂滅為楽(じやくめつゐらく)の法を説かれた。「北邙山頭(ほくばうさんとう)一片(いつぺん)の煙となり、」――僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。同時に又丁度(ちやうど)その最中(さいちう)に糠雨(ぬかあめ)の降り出したのも覚えてゐる。

福間博と井川恭のやりとり

最後に福間博と井川恭のやりとりも書かれています。この部分もマンガにしました。

 僕はこの短い文章に「二人の友」と云ふ題をつけた。それは勿論鴎外先生の「二人の友」を借用したのである。けれども今読み返して見ると、僕も亦(また)偶然この文章の中に二人の友だちの名を挙げてゐた。福間先生にからかはれたのは必かならずしも久米(くめ)に限つたことではない。先生はむづかしい顔をされながら、井川(ゐがは)にもやはりかう言はれた。
「そんな言葉がわからなくてはイカハ。」

井川恭が何と返答したのかは書かれていませんでした。