2013-10-22

佐佐木茂索宛“羊羹の礼状”

 

大正15(1926)年 11月29日 佐佐木茂索宛

羊羹をありがたう(羊羹と書くと何だか羊羹に毛の生へてゐる気がしてならぬ)お手紙もありがたう。君が余り気を使つてくれると、それが反射して苦しくなる事もある。(手紙ばかりならば助かるだけだが)何しろふと出合つた婆さんの顔が死んだお袋の顔に見えたりするので困る。今はどんな苦痛でも神経的苦痛ほど苦しいものは一つもあるまいと云ふ気もちだ。数日前に伯母が来てヒステリイを起した時に君に教へられたのはここだと思つて負けずにヒステリイを起したが、やはり結局は鬱屈してしまった。我等人間は一つの事位では参るものではない。しかし過去無数の事が一時に心の上へのしかかる時は(それが神経衰弱だと云へばそれまでだが)実にやり切れない気のするものだよ。その中で兎に角小説を書いてゐる。我ながら妙なものだと思ふ。昨日宇野浩二がやって来た。何だか要領を得ない事を云つて帰つて行つた。以上

佐佐木茂索

佐佐木 茂索(ささき もさく、1894年(明治27年)11月11日 - 1966年(昭和41年)12月1日)は日本の小説家、編集者。京都府出身。京都府第一中学校中退。その後朝鮮仁川に渡るが、1918年内地へ戻り、芥川龍之介に師事。1925年に発表した「曠日」が芥川の賞賛を受ける。1925年、芥川の媒酌で大橋房子(佐佐木ふさ)と結婚。

1930年を最後に作家として筆を折り文藝春秋の幹部として活動、1935年に菊池寛らと芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設。一時退いたが、戦後改組して発足した文藝春秋新社(現・文藝春秋)の社長として復帰、活動を再開した。

ウィキペディアより